創業は文久三年(1863年)。砂糖問屋「綿伍」に奉公していた初代小川与惣松が暖簾分けを許され、主家の一字を頂き「綿与」という店を、ここ、近江八幡の地に開いたのがその始まりです。
商い物の小豆や砂糖を使い、竹の産地ゆえ手に入りやすかった竹皮に餡を包むという工夫をこらして作った蒸し羊羹。当初は近所の人々に食べてもらう程度の気持ちで作り始めたものの、たちまちその美味しさが評判になりました。
大坂や関東の商家に出ていた丁稚さん(見習い小僧)達が薮入りから帰郷の際、お給金の少ない丁稚さんでも買える手頃な値段だったため、いつしか「でっち羊羹」と呼ばれるようになりました。ご主人や番頭さんへのお土産として、当時から大変喜ばれるお菓子だったようです。
また菓子屋用語でこね合わせることを「でっちる」とも言います。小麦粉と小豆餡を練り合わせる工程から「でっちる羊羹」、転じて「でっち羊羹」となったという説もあります。
丁稚奉公をふりだしに大成した近江商人。そのふるさと、近江八幡ゆかりの銘菓として『和た与のでっち羊羹』は永くご愛顧いただいています。
この歌は、大正天皇妃貞明皇后に献上した際に九條通真公より賜りました。素朴な田舎娘(でっち羊羹)を褒め、洗練された駿河屋の煉羊羹の「姉」と称える。何と粋な譬えでしょうか。
以来変わらぬ手作りの味を守りつつ、お菓子を通してご家族やご友人との「和」=「和みのあるひととき」にささやかながら与(あずか)ることができましたら、との想いをこめ「和た与」と名を改め、日々誠実に菓子作りに取り組んでおります。